pagetop
ページトップへ

「忍」の精神(山田雄司)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Updated 2021/02/22

日本忍者協議会顧問の山田雄司先生より、忍者の日を迎えるにあたってのお言葉をいただきました。


 新型コロナウイルスが発生してすでに1年以上が経つが、感染はとどまるところを知らず、今日も世界中で多くの人が感染し、亡くなっている。また、病気だけの問題にとどまらず、精神的打撃、個人間のいさかいや社会的対立、経済問題をも巻き起こし、数え切れないほど多くの人の人生を狂わせている。我々は今、地球規模での危機に直面していると言っても過言ではない。

 こうした状況下で、私たちはいかにして生き抜いていったらよいのだろうか。その答えのひとつが忍者にある。忍者は日本の歴史・文化の中で登場して活躍し、その教えである「忍術」の中には、自然の中で培われてきた先人の知恵が凝縮されている。そしてそこには、日本人だけでなく、世界の人にも知ってもらいたい教えが秘められている。

 忍者・忍術の「忍」には、大きく分けて2つの意味がある。「ひそかに隠れる」という意味と「耐える・ガマンする」という意味だ。忍者は誰にも見つからないように、敵国や城などに忍び込み、ときには人の心の中にも忍び込む。音をたてることなく、臭いを残すこともなく、自分の名前を残さず、誇らしげに語ることもないけれど、天地を造るほどの大きな仕事を成し遂げる存在、それが忍者だった。そのためには、ときに何日もずっと陰に潜み、空腹を耐え、ひたすら実行の機会をうかがっていた。そして、今がその時と判断したならば、目にも留まらぬ速さで行動に出て任務を全うした。

 「忍」の漢字がまさに忍者のあり方をよくあらわしている。刃の下に心という字を書くのは、どのような状況であっても動じずに、耐え忍ぶ心をあらわしているとされる。また、それと同時に、「忍」は怒りや邪欲などの念が巻き起こったときに、心の上にある刃によってその悪念を切断して元の心に戻すことも意味しているという。つまり、忍者にとっては、耐え忍んで自己の感情をコントロールすることが肝要だったのである。

 そうした忍耐力は一朝一夕で習得できるわけではない。長い間地道な鍛練を積むことによって、最終的には、手枷足枷をつけられたり、縛られて逆さ吊りにされたとしても、少しも志を変えることのない強靱な精神力である「不動心」を身につけることができたのである。

 そしてその結果、はじめて他者を許す寛容な心も身につけることができるようになる。それが「」である。耐え忍んで自らの怒りや怨みを鎮めることにより、自己も他者も理解しあい、共生することができる。自らの主張だけしていては決して平和な世界は訪れず、「怨」の感情は「怨」の連鎖を生み出す。一人ひとりが少しずつ「忍」を実践していけば、「和」が生まれ、平和がもたらされる。

 この世はさまざまなことを耐え忍ばなければならない「忍土」であり「忍界」である。しかし、それを超越することができれば、その先に道は開ける。われわれは、現在の逼塞した状況を「忍」の一字で乗り越えていく必要があり、「忍」の精神が今こそ試されているのではないだろうか。

 

山田雄司