日本忍者協議会顧問の山田雄司先生より、現状において忍者からどのようなことが学べるのかをお伺いし、『「忍」のもつ今日的意義』をお話いただきました。
三重大学人文学部教授・日本忍者協議会顧問 山田雄司
忍者の「忍」には、「耐える・ガマンする」という意味と、「ひそかに隠れる」という二つの意味がある。現在の世界そして日本における状況は、まさにこの「忍」が試されているのではないだろうか。
「忍」を自らの名称にもつ忍者は、「忍」を体現する存在であり、「忍」という漢字が刃の下に心という字を書くのは、どのような状況であっても動じずに、耐え忍ぶ心をあらわしているとされる。また、それと同時に、「忍」は怒りや邪欲などの念が巻き起こったときに、心の上にある刃によってその悪念を切断して元の心に戻すことも意味しているという。つまり、忍者にとっては、耐え忍んで自己の感情をコントロールすることが重要であり、そうしたことができる人たちだったのである。しかし、こうした忍耐力は一朝一夕で習得できるわけではない。長い間地道な鍛練を積むことによって、最終的には、手枷足枷をつけられたり、縛られて逆さ吊りにされたとしても、少しも志を変えることのない強靱な精神力である「不動心」を身につけることができたのである。
そして、こうした忍耐力を身につけることによってはじめて他者を許す寛容な心も身につけることができるようになる。それが「和」という言葉である。耐え忍んで自らの怒りや怨みを鎮めることにより、自己も他者もともに安穏を得られるのである。自らが正しいとして、自己主張だけをしていては決して物事は解決できず、相手に対する「怨」の意識は「怨」の連鎖を生むだけである。一人ひとりが少しずつ「忍」を実践していけば、そこに「和」が生まれ、皆が幸せになれるのである。
忍者は自己主張せず、めだたず、自分の名前も残さないことを是としたけれども、天地を創造するくらいの大きな仕事を成し遂げた。それは、自らを厳しく律する「忍」の心持ちがあったからである。技術ばかり先行し、そうした精神的な部分を養っておかないと、理性が感情や情念に左右されてしまって判断を狂わせたり、気を使いすぎて心身ともに疲れてしまって失敗してしまう。逆に心が穏やかであれば、状況に応じて水のように自在に形を変えて、どのような局面でも柔軟に対応することができ、気づかないようなところにも気づき、できないことできるようになる。
近代に限っても、日本では日清戦争後の三国干渉時に「臥薪嘗胆」が唱えられ、第二次世界大戦敗戦時には「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」という玉音放送がなされるなど、歴史上何度となく危機にさらされてきたが、そのたび耐え忍んで克服してきた。今回の新型コロナウイルスに対しても、さまざまな面で忍ぶことが要求されている。今こそ、「忍」という忍者精神を深く心に刻んで耐え忍び、これをいい機会だととらえて沈思黙考し、次なるステップにつなげていく必要があるのではないだろうか。